LPSC 開催経緯とその歴史 - LPSC History


1969年7月に NASA のアポロ11号が人類初の月着陸を果たし、月の岩石や表土(レゴリス)を回収してきました。当時八歳の私も家族と共に深夜、白黒テレビでニール・アームストロング船長が月面に着陸し、かの有名な、「一人の人としては小さな一歩だが、人類としては巨大な一歩である」という言葉を聴いていました。

その着陸の1年前の1968年3月1日に、ヒューストンの有人宇宙船センター(現在のジョンソン宇宙センター)において、当時のリンドン・B・ジョンソン大統領が LSI(Lunar Science Institute, 月科学研究所)の創設を宣言し、1969年12月には USRA(Universities Space Research Association, 大学宇宙研究連合)が LSI の運営を任されます。
 

画像:第2回の月科学会議の要旨集。こちらのボス格のジム・ヘッド教授所蔵のものがここに寄付されています。
 

NASA はやはり偉大なもので、アポロ11号によって回収された試料を世界中の142名の研究者およびグループに配分し、1970年1月5-8日に、彼らを含む数百名の科学者たちがヒューストンに集まって、アポロ11号月科学会議(Apollo 11 Lunar Science Conference)が開かれます。そこでの結果は、明らかに高温起源の月を示すものでしたが、月表面のごく一部からの試料である事もあり、低温起源派も含め、より大きな範囲からの試料回収の必要性を主張するようになります。

アミノ酸合成で有名なユーリー・ミラーの実験でも知られるノーベル賞科学者ハロルド・C・ユーリー博士も、月面の暗い部分の一部は炭素質コンドライト様物質ではないかと思っていました。月に関してはそれは間違っていたように思いますが、小惑星ベスタ上で最近見つかった暗い物質は炭素質コンドライト的な小惑星が衝突して汚染した物質と思われ、ユーリー博士の考えはベスタでは正しかったのかもしれません。私の指導教官は「月と小惑星」という本を書かれましたが、そこでの小惑星はベスタのことであり、ある意味でベスタは月の弟のようなものかもしれません。
 

画像:ブラウン大学惑星地質グループの図書室には、LPS および LPSC の要旨集と論文集が所蔵されている。
 

話が逸れましたが、1971年の第二回からは月科学会議(Lunar Science Conference, LSC)となり、1978年からは月・惑星科学会議(Lunar and Planetary Science Conference, LPSC)という現在の名称に変わって、今年2013年には通算44回目が開かれることになります。LSI も LPI(Lunar and Planetary Instutitue)になりました。私の指導教官の武田弘先生はきっと第1回か2回くらいから参加されているのでしょうが、私は渡米した翌年の1991年、第22回から22回目の参加になります(1998年は次女が生まれる週だったので欠席しました)。ブラウン大学惑星地質グループの図書室には、第1回からの要旨集や論文集(Proceedings)がありますが、1970年の第1回だけは要旨集はなく、いきなり発表をさせて、その後で論文集を出したようです。
 

画像:私のうちにまだ残っている LPSC グッズ。要旨集とプログラム以外にこの LPSC バッグが参加者に配られ、T シャツも販売しています。
 

私が学生およびボスドクの頃は、要旨集だけでも黄色い分厚い電話帳のようなものが 2~3 冊になり、ヒューストンで受け取ってから持ち帰るのも大変なので、発送してしまう人たちも多くいました。惑星科学の研究室は歴代の要旨集で壁が黄色に彩られているのが印象的でした。それが後に CD に変わり、今では USB スティックで配布されるようになりました。また、参加者に配られるものに LPSC バッグがあります。Tシャツも $10 とかで販売されていて、LPSC 参加者たちの一体感をかもし出すのに一役果たしています。

私が渡米した1990年には金星探査機マゼランのデータが出てきて、その研究発表で1991年以降は賑わっていました。私は、1991年の最初の参加の時には、博士課程でも研究した分光の鉱物混合モデルの発表をしましたが、そのときに、測光・分光モデルで有名なブルース・ハプケ博士に私の研究を個別に聞いてもらう機会が持てて、非常に勉強になりました。その頃は、博士のもう一つの業績である宇宙風化に深入りしていくことになるとは思ってもいませんでしたが。

後には1993年の火星隕石 ALH84001 にバクテリアの化石が発見されたという研究発表に刺激されて、火星探査ミッションの黄金時代とも言えるものが始まり、LPSC でも火星の特に赤外分光による鉱物探査が多く特別セッションを開いて発表されるようになりました。わたしは、それら NASA および ESA(欧州宇宙局)の惑星探査および研究の力に圧倒されていました。

一方で、アポロ以降月に行っていないNASAの倦怠感はあり、月を研究する人々は、アメリカが月にいつ戻るのかと心待ちにしていました。そんな時、日本の SELENE(かぐや)計画が1995年頃に始まり、2000年頃に月に巨大衛星を飛ばすという発表があり、それに刺激された月探査が再び活気を帯びて欧米・インド・中国が乗り出してきました。私も SELENE のチームメンバーとして月物質の分光に関する研究発表もするようになりました。

同時にやはり日本の MUSES-C(はやぶさ)計画が小惑星イトカワにランデブーし、そしてアポロ・スターダスト以降初の地球圏外試料回収に成功しました。その結果、2006年と2011年に LPSC での特別セッションを二回も持つことができ、300 人ほど入る会場が超満員になる成功を収めました。かぐやも同様に特別セッションを持つことができました。これらは、日本の固体惑星科学分野では初の快挙であり、JAXA が NASA や ESA と肩を並べるようになった感がしました。研究者たちも、数においては少ないものの、トップのレベルは近づいてきていると思いました。
 

画像:42th LPSC 2011でのはやぶさ特別セッションメンバーなどの写真です。
 

今年の LPSC も、世界中からの研究者で賑わうことでしょう。
 

 


Author : 廣井孝弘

米国ブラウン大学地球・環境・惑星科学上席研究員

Special editor for The Planetary Society of Japan