はやぶさ帰還ニコ生中継 : 観測編


ニコ生中継班はnecovideo氏、その助手(通称“猫奴隷”)のボクネコ氏、三才ブックスの斎藤氏と私の4名になった。necovideo氏が航空券、レンタカー、ホテル宿泊を手配してくれた。空路でアリススプリングスに入り、そこからレンタカーで680km走ってクーバーペディに行く。ここを拠点に観測地をロケハンすることになった。

さらに心強いことに、宇宙開発ジャーナリストの松浦晋也氏と、はやぶさ理学チームの先生方二名がプライベートで現地を訪れるというので、アリススプリングスから合流することになった。

6月10日夜に成田を発ち、11日朝に乗り継ぎのケアンズに着く。そこからボーイング717で大陸中央のアリススプリングスへ、2時間半ほど飛ぶ。
 


 

アリススプリングスはアウトバック(outback、オーストラリア内陸部)の中心地として、以前からあこがれていた場所だ。初冬の澄みきった青空と酸化鉄で赤く染まった大地のコントラストが眩しい。平原から突き出した岩山はよく風化していて、日本の山のような険しさがない。全体の雰囲気はアメリカ・ユタ州の荒野に似ている。世界有数の古くて安定した陸塊ではないだろうか。

12日、斎藤氏と交代で運転しながらほぼ一日走り、夕方クーバーペディに入った。道路の両側に小さなコニーデ火山のような土の山が無数にあるのに首を傾げた。鉱物好きの私としたことが、世界有数のオパール産地に来ていることをすっかり失念していた。採掘跡転落注意の標識がひんぱんに出ている。路肩で油脂光沢のある灰白色の石を拾った。オパールなど付着していないが、これが母岩になるのだろう。
 


 

スチュアート・ハイウェイから街に入る手前に電光掲示板があった。「ここから138km先、6月13日の22~24時まで通行禁止」とある。通行止めの区間は60kmだから、その中間、つまり168km先がはやぶさの進入コースと交差しているのだろう。ようやく具体的な情報が得られた。
 


 

クーバーペディは丘の上にある小さな街だ。中心部にはオパールの売店が並んでいる。黄昏の中を一人で散歩してみると、アボリジニの一団がたむろしていて、そこだけはやや不穏な雰囲気だった。保護下に置かれた先住民族というのは、あまり健全な状態ではない。

ギリシャ料理の店に集まって夕食を取る。英語に堪能な先生方がうまく注文してくれて、いろんな料理を堪能できた。オーストラリアの生活習慣はイギリスに近くて、ファストフードはフィッシュ&チップスが多い。ジャンクフード好きな私はオーストラリア入りして以来、喜んで何度も食べていたが、少々飽き始めていたところだった。

翌朝、ニコ生中継組が準備に手間取っているうちに松浦氏と先生方がロケハンから帰ってきた。スチュアート・ハイウェイを南下して二つ目の休憩所、インゴマー(Ingomar)が好適、という。

我々も出発し、100kmほど走ってその休憩所を確認した。申し分ない。それからさらに南下して通行止め区間の開始地点に行き当たる。ここにも電光掲示板があった。まだ通行止めではないので、そこから30km先、はやぶさ進入コースの直下点とおぼしきあたりまで行った。
 


 

路肩から少し入った茂みの脇に、スーパーで買ったプラスチックの平らな容器を置く。これは流星塵の採集をねらったもので、オーストラリアに来てから思いついた。
はやぶさが再突入して一晩たてば、そこそこ大きい塵は地表に降るだろう。コース直下といっても機体が焼失する位置から100kmほど離れているので、ごく淡い期待しか持てないが、それを採集すれば、はやぶさ起源のものが見つかるかもしれない。はやぶさの太陽電池パネルやサンプラーホーンにはイトカワの塵が付着していそうだから、それが混ざる可能性もゼロではない。もちろん、道路脇に置くのだから地上の塵もたくさん混じるが、流星塵は球形なので見分けがつくはずだ。

もし採取がうまくいったとして、科学的な意味はあるだろうか。高熱で蒸発した後だから化学的な情報は失われているだろう。しかしアエンデ隕石のように、同位体組成から何か得られるかもしれない。

容器を設置して、来た道を引き返す。通行止め区間の北縁には広い休憩所があり、ここも観測適地だった。進入コースに近いだけ、迫力のある絵になりそうではある。ただしコースと視線方向が重なるので、観測できる情報が減りそうではあった。休憩所は道路の東側にあって、撮影中に車が来るとヘッドライトに邪魔される心配もあった。

かなり迷ったが、インゴマーの休憩所まで戻ることにした。ここはグレンダンボよりずっと西寄りで、光跡を横から撮るのに向いている。JAXAやNASAの光跡観測班もグレンダンボより100km以上西側にいたようだ。

多くのマスコミはグレンダンボに集められたが、そこから撮影した映像は仰角が低く、かなり望遠で撮っているため、前後が圧縮された構図になっている。ただしグレンダンボは快晴だったので、結果的には申し分のない絵になった。
 


 

休憩所の南東に陣取って準備を始める。周囲にはキャンピングカーが数台停まっていた。お年寄りたちがテーブルを出してのんびりワインを飲んでいる。話を聞いてみると、リタイヤ後の夫婦ばかりで、オーストラリアではよくある老後の過ごし方らしい。「ええと、ノーマディングといいましたっけ?」と訊ねると、意を得たように「そうだそうだ」とうなずいた。

クーバーペディで博物館見物していた先生方も夕方になって現れた。それぞれ準備を始める。H先生はこの日のために天体撮影用のカメラ、WATEC WAT-100Nを購入していた。流星観測のように魚眼で撮影し、別の場所に行った国立天文台W先生の観測とつきあわせるらしい。
 


 

日が沈むと、はたして息をのむような星空が現れた。日本では地平線近くにある射手座のスタークラウドが空高く浮かんでいる。銀河中心の丸く膨らんだところを真横から見ているわけだが、手前に暗黒帯があるので見え方は単純ではない。
射手座から少し離れて?・?ケンタウリが並ぶ。その横に南十字星が、天の南極に突き刺したように立っている。南十字と抱き合うようにコールサック(石炭袋)と呼ばれる暗黒帯があり、これが背景の銀河からくっきりと浮かび上がるのには感動した。

あさりよしとお氏に6千円で譲ってもらったツアイスの7×50双眼鏡を向けると、シュミットカメラで撮った星野写真のような眺めになった。視野一杯にパチパチ音を立てそうな光の粒が満ちていて、もうきりがありません、ごちそうさま、という感じだ。

ハエ座、カメレオン座と、見慣れない星座を星図と見比べて確かめる。北天の星座は古代エチオピア神話に基づくが、南天のそれは大航海時代の後にできたものだから、けんびきょう座、らしんばん座など、当時の新技術が掲げられている。北天には見慣れた星座があるが、逆立ちしているので、なかなかそうとわからない。天頂で長椅子に寝そべったようなサソリ座がなんとも奇妙だった。

いくら見ていても飽きないが、はやぶさの生中継を忘れるわけにはいかなかった。松浦さんも書いているが、次はただ星を見るためにここを訪れようと思う。
 


 

夜が深まると、寒くてたまらなくなった。往路の飛行機で持ち帰り可能だった毛布をかぶるが、まだ寒い。エンジンかけっぱなしの車にこもって暖をとった。暖かいカップラーメンでもあればよかったが、湯がないのでパンに蜂蜜をかけて食べた。
21時頃から星空にじわじわと陰りがでてきた。雲が出始めている。時間とともに雲はひろがり、22時には空の7割が覆われたように見えた。ただしベタ曇りではなく、細かくちぎれた雲なので、切れ目から星が見える。まだ絶望ではなかった。

放送時間が近づいてきたので、necovideo氏のインマルサットを使ってスタジオと通話テストをする。ビーダイ氏の落ち着いた声が聞こえてほっとするが、二言三言話したところでプツリと切れてしまった。齋藤氏が持参した衛星携帯電話(確かスラーヤ)もうまく通話できない。だが本番のときは、インマルサットで通話できた。遅延があって話しにくいが、これは仕方がない。

22時半頃、受信機の電源を入れてスケルチを開放し、ICレコーダーの録音を開始した。受信機は三才ブックスの用意した二台と私の一台があり、それぞれ異なるアンテナを接続してあった。
 


 

はやぶさビーコン専用の特製八木アンテナを構えるのはボクネコ氏の担当になった。エレメントを垂直にして、南~南東方向を狙うように頼んだ。
キャンピングカーの放浪者たちには、はやぶさの来る時刻を知らせておいたが、誰も出てこなかった。動いているのは7人の日本人だけだ。

22時45分頃からスタジオと電話をつなぎ、じっと西の空を見つめた。
22時51分、高度200kmではやぶさの再突入が始まったはずだが、空に変化はない。
 


 


 

22時52分、突然雲の向こう側が明るく光った。仰角は20度くらい。予想外の明るさで雷かと思ったが、すぐに考えを改め、うわずった声でスタジオに伝えた。Google Earthにプロットした緑の線がこのときの視線だ。

光は左斜め上に移動しながらさらに爆発的に拡がり、影が落ちるほどになった。緑とピンクの閃光が交互に現れ、最後の爆発では全天がワインレッドに染まった。
 


 

参考までに、NASAがキングーニャから撮影した写真を貼る。この色は各地で撮影された写真や動画でもよくわかる。固定撮影だと、光跡の太い部分の終わりが赤く膨らんで見える。
爆発するということは強固な密封容器に入っていた何かだろう。リチウムの炎色反応はあんな色だから、あれは武勇伝を生んだ古河電池製リチウムイオン・バッテリーの最期ではないだろうか。NASAのDC-8が分光観測しているので、いずれ正体が確かめられるだろう。

移動とともに、雲の切れ目から光の粒子が束になって飛び出してきた。砂を握ってぱっと投げたような感じだ。光は急速に前後左右に拡がり、速度もさまざまだった。
 


 

その中で、ひときわ明るい光が前方やや下方に突出していた。他の光はすぐに光度と速度を失うのに、先頭の一個だけは安定して強く輝き、定規で引いたような一直線の光の尾をしたがえている。
ああ、あれがカプセルだ、本当に帰ってきた、と思った。

完全に予想通りの光景であることが、むしろ非現実的だった。もし不正規の運動を起こしていたら、あんなまっすぐな尾にはならないだろう。カプセルは擂り鉢型をしていて、空力中心より前方に重心があるため、自律安定性を持っている。期待通りに飛んでいるのは熱シールドが再突入に耐え、形状が保たれている証拠だ。アンバランスな歪みや窪みが生じていたら、たちまち高速でスピンし始めるだろう。

カプセルが独走状態になったとき、仰角は32度を超え、見上げるようなアングルになっていた。仰角は帰国後に背景の星をステラナビゲーターで再現して確かめた。Google Earthにプロットした赤い線がこれにあたる。

最後まで残っていたカプセルの光も、真南に来た頃には消えた。光跡撮影はこれで終わりだ。「これよりビーコンの受信にかかります」とスタジオに伝え、受信機を手に取る。このとき時計を見なかったのは不覚だった。ほかの三人も軽い放心状態だったように思う。

何分かして、突然ビーコンの音が聞こえてきた。事前にnecovideo氏が仕様通りの音を合成していたので、すっかり耳に馴染んだ音だ。「あれ、なんでそれがいま聞こえてるの?」と思った。それから我に返って「ビーコン受信しました!」と叫んだ。首にさげたストップウォッチをスタートさせる。スタジオのビーダイ氏に「音を聴かせてください」と言われ――言われなくてもそうする段取りだったが忘れていた――受話器にスピーカーを押し当てた。

脳内に「ああ生きていた、生きていた」という思いが反響している。擬人化を笑う人もいるが、このときのビーコンは鼓動にしか聞こえなかった。はやぶさの産み落とした卵の鼓動だ。

「えへっ、えへっ」と、笑ったような声を発して、ボクネコ氏がアンテナを構えたまま泣いている。自分も嬉しくてたまらなかった。安堵の思いもある。自分が作ったわけでもないのに、勝ち誇りたい気分でもあった。どうだ、やっぱりはやぶさはすごいだろ、と。
 


 

機材は万全だったので、電波が届けば受信する自信はあった。唯一の不安はビーコンが正しく送信されるかどうかだった。失礼な話だが、深宇宙の宇宙線と熱衝撃に7年間さらされたものが、いきなりポンと動くなど、自分の常識に反している。無線機なら何台か作ったが、温度や湿度で毎回必ず周波数や出力に変動が生じたものだ。今回も、QRH(周波数変動)が生じていたら、チューニングダイヤルを回してビーコンを探すつもりでいた。

だがビーコンは待ち受けた周波数で、最初から安定して受信できた。ストップウォッチを見ると、まもなく5分が経とうとしている。スタジオに「パラシュートが正常に開いたと思われます」と伝えた。もう大丈夫、軟着陸はまちがいない。帰還システムはすべて設計通りに動いた。採点は275点から400点に移った。

ホイップアンテナにつないだもう一台の予備受信機は操作ミスでスキャンモードに入ってしまい、受信に参加できなかった。私の受信機は430MHz用2エレの八木アンテナを挿していたが、ビーコンは受信できなかった。本命機と第一電波が最適設計した5エレ八木アンテナのおかげで救われた格好だ。

その本命機も、入感から10分をすぎた頃からしだいに信号が弱まり、ノイズが混じり始めた。

12分経つと完全に消感した。後でわかったのだが、観測地から着陸地点までの距離は74kmあった。着陸地点は地平線より400mも下にある。ビーコンは地球の丸みに遮られたのだろう。

JAXAの写真によれば、カプセルは着地の際に逆さまになり、下方に垂れていたアンテナはあおむけになったカプセルの側面にもたれていた。地面とカプセルの間に挟まれたわけではないが、これでは能率よく電波が飛ばないだろう。

ともかく降下中は良好にビーコンが入感したので、方探チームも任務を果たしたにちがいない。カプセルはすぐに見つかるだろう。すっかり安心して、我々は撤収にとりかかったのだった。

夜道を慎重に走ってクーバーペディの宿に戻り、ネットアクセスをして、徐々に反響がつかめてきた。

我々の番組は予想外の視聴を集め、ニコ生始まって以来の、プレミアム会員が押し出される事態になった。運営は急遽サーバーをやりくりしたが、なかなか追いつかない。番組が終わるまでにどうにかプレミアムの押し出しだけは回避されたという。新規のプレミアム会員も放送直前に急増したというから嬉しいが、押し出された人には申し訳ないことになった。どうかこれに懲りず、特典を満喫していただきたいと思う。結局のところ、ニコニコ動画の真価はプレミアムでないとわからないのだし。

映像のほうは魚眼レンズで捉えた閃光が放送されたが、すぐに途切れてしまった。あの興奮と暗闇の中では無理もないと思うが、カメラを望遠に切り替える操作を誤ったらしい。映像は録画されていたので、下の動画で見られる。
 


また、ビーコンのライン録音はこの動画で聴ける。
 


MP3ファイル単体は ” ニコニ・コモンズ ” に登録されている。

スポンサーの三才ブックスとドワンゴはこの録音を素材として無償提供してくれた。JAXAからは「受信内容の公開については、オーストラリアの電波法に照らした判断が不明なので、自己責任で使ってください」という意見をもらった。
 


上の動画は、おおむね妥当だった宇宙関連の事業仕分けを批判している点に違和感を持つが、MMDで擬人化した帰還シーンの描写が胸を打つ。帰還三か月前の公開だが、カプセル分離の様子、最後の地球撮影、あかつきとの交差など、実際に起きたストーリーと見事に重なっている。
 

そこで最後に、ネットを席巻した「はやぶさ現象」について述べたい。

はやぶさがこれほどまでに人気を集めた第一の理由は、度重なるトラブルを乗り越えたことではないと思っている。はやぶさのミッションは「旅」というモチーフに沿っていて、直感的にわかりやすいのだ。わかりやすいから、感情移入できる。

現在の宇宙飛行の大半は、軌道に上がるだけか、上がって降りてくるだけで、遊覧飛行のようなものだ。これは旅とは言えない。旅ならば別の土地に行くものだし、何かを運ぶものだ。目的地で新奇なものを見て写真を撮り、みやげを買って、出発地に帰ってくる。それが一般にイメージされる旅だろう。

はやぶさのミッションは旅の要素をすべて備えている。川口プロマネは「これが本来あるべき宇宙探査の姿」と述べた。だが実現は容易ではなく、はやぶさの他には米ソの月探査しかない。計画規模はそれぞれ異なるが、すべて大きな熱狂をもたらした。

アポロ計画は有人飛行だから、人間の旅そのものだ。はやぶさは無人であるだけに、若干の想像力を要する。こうした想像に慣れているのは、物語の虚構性に馴染んだ人たちだろう。そんな文化の中ではやぶさの人気が爆発し、擬人化が進んだのは当然の成り行きといえる。

はやぶさはただ酔狂で擬人化されたのではなく、その大胆なコンセプトと技術力によって、擬人化される資格を得たのだ。擬人化されやすいもの=いい宇宙科学とは限らないが、このケースではそれを誇っていいだろう。

なかでも「旅を終えて、故郷に帰る」というモチーフは喚起的だ。我々がごく自然に「おかえりなさい」と呼びかけ、擬人化されたはやぶさが「ただいま」と答えるのは、旅から帰ったときの気持ちを知っているからだ。

ただ、普通の旅ではなかった。大事に抱えてきた包みだけを手渡して、旅人は息絶えた。そんな場面はまず物語の中でしか立ち会えない。だがこの夜は、少なくとも数千人が目の当たりにしたのだった。

あらためて、おかえりなさい、と告げたい。
安らかに眠れ。君の卵は、かならず孵すから。
 

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野尻抱介

宇宙作家クラブ

Author : Hosuke NOJIRI