The Planetary Society of Japan

The Planetary Report

Archive 1997

 

心躍る火星の隕石 ALH84001 発見の旅

火星から飛んできた隕石 ALH84001 が注目を浴びている。本文は、発見者が語る隕石探索の紀行文である。筆者は、コロラド州デンバーの米国南極調査計画所に勤務しています。現在、南極のマクマードにあるクレイ研究所の試験主任として5ヵ月間南極に滞在中。現職前は、ジョンソン宇宙センター南極隕石研究所で10年間調査主任を務めた。[ 1997年01月/02月 ]

Roberta Skole

 

1984年12月27日の昼下がり、ちょうど南極大陸のアラン・ヒルズから最も遠い氷原の端にある丘を眺めていた時、私は後に世界の注目を浴びることになった火星から飛来した隕石、ALH84001 に出会いました。私は米国科学財団の支援によるプロジェクトの1984年度の南極大陸隕石調査に参加しました。私は1978年以来、ヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センター(JSC)で南極の隕石の研究をしてきました。調査団は、団長のウイリアム・キャシディー、キャサリン・キングフレーザー、スコット・サンフォード、ジョン・シュット、カール・トンプソン、ロバート・ウオーカー、それに私を入れて合計7人でした。

南極で発見された隕石の数は、日本の南極越冬隊が初めて発見した1969年現在で僅かに2000個に過ぎませんでした。しかし、それ以前は隕石の調査が全く行われなかったのは、私には驚きでした。何故なら、南極の氷は隕石の調査のために理想的な媒介役を果たすからです。地球上いたるところに無差別に落下した隕石は、ほとんど海洋に落ち、永遠に発見されないままとなってしまいます。しかし、南極大陸に落ちた隕石は、氷の中に埋もれて海までゆっくりと運ばれます。氷は障害物を乗り越え、山に衝突し、浸食されながら風が咆哮する南極大陸の氷床の上を移動し、最後に隕石という残滓が残るのです。
 

氷の移動と隕石の集積の図解
遥か遠くの厳しい南極の氷原は山の麓に岩石を集積するいわば天然のベルト・コンベアの役割を果たすので、隕石の調査には地球上の最適地です。隕石は氷原に落下し、その中に埋もれたままになります。アラン・ヒルズのような地域では、ゆっくりと移動する氷は山の斜面にぶつかると、その斜面に沿って押し上げられます。そこでは、氷が地球最南端の大陸を吹き荒れるすざましい風に晒されて、埋もれていた隕石が表面に現れ、隕石調査団員の鋭い観察眼により発見されることになります。
 

 

アラン・ヒルズへの途

調査団の南極大陸への第一歩は、厳しい健康診断と歯の検査でした。歯の検査?南極の極地周辺で歯が痛くなっても、そこには歯科医はいませんから。それから、旅客機でニュージーランドのクライストチャーチに向かいました。皮肉にも南国のパラダイスで、極寒地での防寒具の装備をするはめになりました。先ず、長い下着、防風ズボンの裏張り、防風ズボン、フランネルのシャツ、ダウン・ベスト、極地用ジャケット、厚手の靴下、防寒ブーツ、手袋の裏張り、毛の手袋とこの上にはめる熊の手のような手袋、バラクバラ(頭から肩の一部まで入る大型防寒用帽子)、そしてゴーグルと言った具合に、摂氏26℃のクライストチャーチで氷点下の耐寒装備に慣れるのは奇妙な経験でした。

クライストチャーチから南極のマックマード基地まで、LC-130型輸送機で8時間の飛行でした。この飛行機にはスキーが付いていました。初めて目にした南極の景色は、雪に覆われた美しいロイヤル・ソサエティー連峰と、活火山のエルベス山の側面に見える基地でした。マックマードはアメリカの中心調査基地で、1000人の調査員とサポート・スタッフが滞在しています。

マクマードに着くと、調査団は南極大陸の生活に慣れるルーチン(定められた行動作業)に取掛かりました。最初は、防寒具のすべて、予備部品、食料および燃料などすべての氷上の遠征の必需品をまとめることでした。遠く離れた目的地まで、クレバスの多い地帯を踏破するために特別の行路をとらなければならなかったので、クレバスのスペシャリスト、ジョン・シュミットが調査団を率いることにしました。出発前の2日間、遠征の予行練習を行いましたが、素晴らしくもありまた謙虚な気持ちにさせられる経験でした。この中で、団員は機材の取り扱い方とその正常な作動の確認方法と登山技術の基礎を習得しました。氷原に入れば隊員は自力で行動し、壊れた機材を自分で修理し、そしてお互いの安全の妨げにならないように気をつけなければならないからです。

12月の最初の1週間で機材などの荷作りを済ませ、隕石収集の出発を待ちました。団員全員と6週間の隕石収集活動のための機材の運搬に、ヘリコプターが7往復しました。

初めて見るアラン・ヒルズの光景は荒涼としたものでした。ヘリコプターは時速30ノット(42km)で飛行しました。私を含めた4人の初参加の団員は、どうしてこの調査に参加したのか疑問に思い始めていました。今回の調査団は、到着が南極の季節の中で最悪の日に当たる運命にあったことをその時迄知りませんでした。ヘリコプターの最終便が飛び立ってしまうと、数百マイル四方何処を見てもたった7人の私達団員以外誰もいないという孤立感と隔絶された思いが急に込上げてきました。

団員は、二人部屋の広さのティーピー・テント(tiepee tent:北米平原地方のアメリカインディアンの皮布張りの円錐形テント)のような所に住み込むことになりました。ここでは一日中明るく夜はありませんが、朝7時にマクマードと無線連絡を取って通常作業を続けました。しかし、作業活動はその日の天候に左右されました。不運にも、南極では隕石は通常寒く風の強い地域で発見されます。風速は30ノットにも達していました。気温は南極特有の低さで、摂氏-12~26℃でしたが、風速冷却で実際はもっと、もっと寒く感じます。時々、時速40ノット(56km)以上の強風が一週間も続くことがあります。この時の作業は非常に危険なので、テントにこもり同僚との知己を深めることにします。

団員のほとんどは、職場ではコーヒー・ポット以上の重さの物は手にしないデスク・ワークや試験室の作業に携わっていた者ばかりでしたので、ここでの肉体労働を伴う作業に慣れるにはかなり時間が掛かりました。食べ物はすべて凍っていましたので解凍しなければなりませんでしたし、水は極地の氷を溶かして作りました。
 

ジョンソン宇宙センターに持ち帰られたALH84001の色は、筆者が南極で発見した時に思ったようにエキゾチック・グリーンではなく、普通の鈍いグレーでした。この隕石が10年後、この隕石が異常な注目を浴びることになるとは、当時は予想もつかなかったのです。
 

 

隕石調査隊員は思わざる隕石の汚染を避けるため、屈んだままサンプルの採取を行っています。この写真では、隊員が普通の隕石を採取しているところです。残念ながら、ALH84001を採取した現場の写真はありません。(本紙のものから、南極隕石ラボラトリー/国立極地研究所ウェブ掲載のものに変えております。)
 

 

隕石の調査

岩の多い地域での隕石探しは徒歩で行いますが、岩の少ないアラン・ヒルズの氷原ではスノーモビルを使いました。隊員はそれぞれが 30m ずつ間隔を空けて氷原を横切っていきました。氷原の上では黒い物体は隕石だけですので、隕石探しにはこの方が遥かに楽でした。誰かが隕石を発見すると、全員がそこに集まって採取した隕石の資料を作成しました。

12月24日の昼下がり、調査も中盤に差し掛かっていました。調査団は、アラン・ヒルズのかわりばえのしない平坦な氷原地帯を横断中でした。気温は摂氏-26℃と暖かく、風は時速10~15ノット(12~21km)と穏やかでした。調査も終りに近づいた頃、後にピナクル(頂き)と私達が名づけた、南極の猛烈な風とぶつかり合う氷でできた高さ 5m の氷の彫刻ともいえる凍結した波形をした地形を見つけました。この素晴らしい造型に私達はすっかり魅了されてしまい、1時間ほどこのピナクル周囲をあちこち調べました。そして更に素晴らしいことには、ピナクル地形のあちこちで隕石が見つかったのです。まさに次の調査に向けて集合しようとした矢先に、私はALH84001を見つけたのです。チームメートに、私の所に来て見つかった隕石を見てくれるよう合図を送りました。

調査団は既に100個以上の隕石の標本を集めていましたが、もっと隕石を発見するのも面白いと思っていました。しかし、この隕石が「おおごと」になるとは、別段考えもしませんでした。ところが、この隕石は採取済みのものとはちょっと変わっていることに気付きました。サングラスをしていたので、青い氷と明るい雪を背景にしたこの隕石は明るい緑色に見えました。この時のことを「隕石が私に語りかけた」とか「ある種の宇宙的テレパシーを感じた」などと、私が言うのを期待するむきが多いと思いますが、残念ながらそんなことはありませんでした。私はただ、この日の幸運と隕石のサイズと変わった色に興奮しただけでした。それも平坦な氷原の何処かで見つけたのであれば、それほど印象的でなかったかもしれません。
 

帰国の途に

他の隕石と同じく、ALH84001の採取の際も汚染が起こらないように注意を払いました。素手では触れずにNASAが支給した特に清潔なナイロン製の袋に入れ、テフロンのテープで素早く封をしました。3ヵ月の帰国途上、隕石はずっと冷却されて、最終的にジョンソン宇宙センターの隕石保管試験場に到着する迄の3ヶ月間、隕石の標本ずっと冷却保存されました。センターでは、窒素環境の特製キャビネットに入れられて保管されます。乾燥した窒素は、保管室の湿気を除去し環境の変化を防ぎます。南極で収集された隕石の科学上の分類は、先ずこの保管場で行われます。スタッフは適量の隕石を使って科学分析を行います。

その変わった色合いとユニークな隕石に違いないという期待から、1984年の南極隕石調査で発見された隕石の中で、ALH84001はヒューストンのセンターに保管される初めてのものとなりました。私はこの隕石の名前を、アラン・ヒルズの地名からALHを、調査の1984年の84をとり、そして初めて試験場に保管されたサンプルを表わす意味で 001 を付加えて、ALH84001としました。試験場の普通のライトでは、ALH84001の色は明るいグリーンではなく、多くの隕石に似た鈍いグレーでした。この隕石は、小惑星帯から飛来したされる隕石のディオジェナイト(diogenite)の綱目に分類されました。

発見から9年後、ディオジェナイトの豊富な研究成果を持つジョンソン宇宙センター(JSC)のデービッド・ミットルフェルト氏がALH84001は火星から飛来したされる隕石のグループに属しているとの決定の報に接し、私は欣喜雀躍の感を禁じ得ませんでした。同じJSCのクリス・ロマネク氏が、ALH84001に含まれる豊富な炭酸塩の研究に興味をもたれたのはこの決定のすぐ後でした。私の部屋はロマネク氏の部屋と廊下一寸隔てられただけでしたので、彼は何度も私の部屋に立ち寄られてALH84001の汚染について質問をされました。彼の汚染についての関心から、彼の研究グループが何かものすごいことに取掛かっていることがわかりました。研究は現在も続いています。ALH84001については議論が始まったばかりで、結論までには更に研究が必要となります。

南極隕石調査のプロジェクトは、天体のサンプル(試料)を持ち帰るサンプル・リターン計画よりはるかに低コストで、科学者に太陽系の断片を提供してくれます。南極で採取された隕石は、地球上で知られた全ての火星の隕石の半分に達し、その中には1個だけ月の隕石も含まれています。これ以外に、南極の氷原にはどのような驚くべきことが待ち受けているのでしょうか。
 

火星の岩が発見された地球上で最も荒涼とした光景。地質学者のロバータは、この氷原で露出していたALH84001を発見しました。(こちらも南極隕石ラボラトリー/国立極地研究所ウェブ掲載のものに変えております。)
 

 

高度に訓練された隊員一行が写真にポーズをとっているところ。背後から二本の指が突き出ているのがロバータ・スコーレです。
 

 

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