「夢は惑星探査にあり」次世代につなぐメッセージ
April 20, 2021 Modified

元稿 - December 20, 2016 毎日新聞ウェブ



井本昭

TPSJ 日本惑星協会

 



1997年に荒涼とした火星表面のエリーズ渓谷(Ares Vallis)に舞い降りた、米国の探査機(マーズ・パスファインダー計画)が今も砂に埋まってとどまる場所は、「カール・セーガン記念基地」と呼ばれる。米映画「オデッセイ」(日本公開2016年02月)で、火星に取り残された宇宙飛行士(マット・デイモン)が通信機能を獲得した場所だ。命名の理由はよく知らないが、米国の天文学者で SF 作家でもあるカール・セーガンの功績をたたえたものであることは想像できる。「夢は惑星探査(太陽系探査)にあり」と訴え続けたカールが、特に求めた天体が火星であったことも理由の一つかもしれない。

今に至ってではあるが、カールの足跡に少し触れたい。
 

Image Description :
TV シリーズ「コスモス」での一場面。筆者は当初、役者も兼業しているのかと思った。
Image Credit : TPS 他
 

カールは、生涯の後半を惑星探査の推進に精魂を傾けた。米航空宇宙局(NASA)の惑星探査機「マリナー(金星、火星)」「バイキング(火星)」「ボイジャー(太陽系の外惑星及び太陽系外)」「ガリレオ(木星)」など名だたる探査機の計画にかかわり、ボイジャーには、カールのアイデアで地球の言語や音楽を記録した「ゴールデンレコード」が搭載された(パイオニアにも同様な内容の金属板が搭載されている)。1980年には、太陽系探査や天文学の普及・啓発や独自プロジェクトに取り組む惑星協会を設立。そして、カールが以前から持っていた構想をテレビで表現したのが、日本にも多くのファンがいるドキュメンタリー「コスモス」だ。

このテレビシリーズは、初回で唐突に全宇宙がテーマとして紹介され、その中の小さな地球に存在する生命、また地球外にも知的生命体の存在を取り上げた。終盤では地球の行く末を案じ、次のテーマとしていた「核の冬」への導入として締めくくられた。「コスモス」には日本の放送局も資金を拠出し、世界 60カ国以上で放映され、カールの名は全世界に及んだ。

筆者はこの番組を二十歳代に初めて見たが、その頃は惑星探査に全く関心を持たない日々を送っていたので、大きく響くことはなかった。現実に追われていて、「夢想の最中にいる科学者」には興味が湧かなかったということだったと思う。しかし、なぜか番組を見てはいた。

90年代になって、木星への彗星(すいせい)衝突、火星への NASA 探査機着陸成功、国産探査機のぞみリフトオフ、南極で発見された隕石(いんせき)から見つかった生命痕の可能性など、惑星探査や惑星科学に関するニュースが相次いだ。筆者もそれらにひかれていった。ちょうどそんなニュースが相次ぐ中、1996年12月20日、カールが没した。今から20年前のことだ。
 

2015年07月、筆者は国内外研究者ら有志の協力を得て、「日本惑星協会」の再始動を果たした。
そもそも日本惑星協会は、カール没後の1999年、「日本語版コスモス」の制作総責任者であった高岸敏雄氏や、日本でのカールの最良の友人であった秋田次平氏らが中心となって設立したものだが、後継者不足などの事情から2011年に解散してしまっていた。

日本惑星協会が存在しないことは、日本国内においては様々な場面で一般市民に不利益が発生することを意味した。

解散直後早々、NASA が全世界に向けて実施した 18 歳未満の青少年向けのコンテストが開催されたが、日本側にはそのコンテストを紹介する窓口がないという事態が起きた。コンテストの運営は米国の惑星協会が中心となっていたが、日本の子どもたちが参加するためには、英語のウェブページを見つけて内容を理解しなければならないという、非常に困難な状況になった。このため、筆者は直接 NASA に申し入れ、コンテストの「日本語版窓口ページ」を作成した。日本の子どもたちにも何とか情報を届けることができたと感じている。

このようなことがあったため、筆者らは日本惑星協会の活動再開を少しでも早めようと考えた。詳細は ” 日本惑星協会について ” を見ていただきたい。

当初は「コスモス」を視聴しても感動を覚えなかった筆者が、協会再設立に関わるとは何とも皮肉なことだとも思ったが、得たものは大きい。特に、地球外知的生命探査という、ともすれば「エセ科学」扱いをされそうなテーマにも純真に取り組もうとしていたカールの真意を、この設立作業の中でわずかではあるが知ることができた。

「カールは予断を持たない科学者なのだ」と、後付けのように思われるかもしれないが、そのように感じている。つまり、宗教観や政治あるいは古典的な物理・天文学に影響されず、彼自身が新たな時代を切り開く「ブレークスルー」となり得る自然科学者なのだと。彼の足跡をたどることで、失いかけていた惑星科学や宇宙への想像力を学ぶことができ、それが今は単純に嬉しいこととなって日本惑星協会の発展に取り組むことができている。現在も日々様々な知見の獲得がある。

「余人を以って代え難い」。これはカール亡き後の元米国惑星協会会長、ルイス・フリードマン博士の言葉だ。今、筆者に重く圧しかかっている。日本においてカールの活動をどのように表現し、引き継いでいくのか。筆者は未だその答えをはっきりとは見つけていない。

だから、カール没後 20 年の今、広く日本の皆さんに問い掛けてみたい。カールの存在を引き継ぐために、どのようなビジョンが必要なのだろうか。もしくは、カールという存在は今は必要ではなくなっているのか。

筆者はよく、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のはやぶさ2ミッションマネージャである吉川真氏と、こんな話をする。「カールら先人から受け取ったバトンを、私たちも次の世代に渡すことが大切なのではないか」と。
「夢は惑星探査にあり」と訴えたカールの言葉を思い出し、小惑星リュウグウを目指しているはやぶさ2、さらにこれに続く次世代惑星探査の重要性を、行政や広く国民に働きかける作業を続けることが、カールの夢に到達する最適な手段だと信じているからだ。

日本惑星協会の活動が、日本の皆さんが宇宙や生命について考えるきっかけに繋がるよう今後も努力していきたい。
 

この記事は、2016年12月20日に毎日新聞ウェブに掲載されたものを再編集して掲載したものです。
原文:” 2016/12/20 - 毎日新聞ウェブ ”

井本昭
 



Akira IMOTO

Editorial Chief, Executive Director and Board of Director for The Planetary Society of Japan

Web edited : A. IMOTO TPSJ Editorial Office